2012年2月26日

知性と感性についての批判




「批判」と「否定」の違い

「批判」という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから「否定」という言葉と同義で用いられるケースが少なからず存在するがここでいう批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指しており、客観的把握をベースとした正確な理解が必要とされる。

「否定」という言葉はその情報自体を拒絶するという意味合いが強くまた主観的要素を含んでおり「批判」という言葉の意味とは隔たりがある。

Wikipediaより引用:「批判的思考」





知性と感性という言葉とその役割りについて。

結論を急げば、これは心にある苦しみを解決して、楽しい気分でいられるために役立つものだ。ここからもう少し掘り下げると、それは自分のおろかさを認識するために知っておく必要があることだと思えてくる。まず私の考えとして、

知性選択肢を持っている
感性直感によって評価ができる

このように捉えている。そしてこれら全体のことを哲学と呼ぶ。知性的であるというのは「物知り」というだけではなく、ものの価値を知っていることが大前提であろう。その逆に、感性というものは選択肢が一つしかなくとも、それがどれくらい重要かどうかを把握できる能力のことである。いずれにせよ、ものの価値を決定づけられる能力というわけだ。

哲学は、人の役に立つ前提でこれまで存在してきたのだ。そして哲学者とは、その活動において役立っている人のことである。そうだとすると今の状況において哲学者が一人も存在していない。

今日私は、こんなことを感じていた。

 ◇  ◇  ◇  ◇ 

例えてみよう。

お金というのは、選択肢の獲得のために役に立つ。だが、お金を使う能力があってこそ選択肢が産まれるのだ。これを知性という。いくら貯蓄があっても、使うべきときに使う(選択できない場合、それは愚かなことである。

感性というものは、あなたが感じるものであって、私が語るべきことではないだろう。これもまた、哲学の必然である。心に問いかける習慣を持っていれば何も気にすることはない。人生を楽しもう。


さて。今のあなたには、知性、もしくは感性が備わっているのだろうか?

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