2012年3月8日

正しさとは


よくある議論に、正義とは?っていうのがあるよな。そしてその言葉には、争って勝利するというニオイが付いてまわる。つまりこれはやっかいな話題だよな。ただし、敗者になるほうがもっとやっかいだと気付いてしまったのは去年から今年のこと。この気付きは避けられまい。

そんで、だからこうして文章を書いているし、それを読んでいる。

自殺と殺人。つまり、生きなくすることが罪だというのは世の共通認識である(それを反映して、法律でもそのようなことが盛り込まれている)。それは目に見えることだから、ずいぶん簡単に説明ができることだ。視覚化が可能な考えだから。










空というのは、想像するに、

雨が降り、雲が浮かび、落ち葉が舞い、霧が立ち込める。ときに夕焼けに染まり、ときに青く広がる。そしてその空の先に、太陽や月があり、星が無数にある。それらは目に見える。その空間のことを『空があるよね』と断言することができる。

さらに想像する。

空があるよね、そう言って『そんなもんは無い、何を言っているんだ?』という人は見たことがない。それは充分に視覚化されていることの照明である。だから、空があることに議論は起こらないのである。これは視覚化されていない問題全てに応用が可能だ。わかるか?空をみて腹を立てないように、問題をみて困らなくて済むようにするのが大人の仕事ってことだ。

(…それにしても、正しさの議論にまで到達しないね)


そろそろキーボードを叩く手が疲れてきた。それでは今日はこのくらいで。またね。

2012年3月6日

Alive






we have

amount of time.

but the time

is not ours.


we have

amount of meal.

but it is

a fake meal.


we have

amount of word.

but that,

not ours.


because..


Because We are baby. Of animals. so We are not gulity. Well, make sense?

主義主張

聞くところによると(私が世界を旅してそれを確認したわけじゃない)、東アジアでは年功序列というものがあって、こいつが日常生活に強く影響している。この年功序列というもの。これは結論を急ぐと『儒教の影響』という主張になるようだが、それはどうだろう。あまりピンと来ないな。

各種調べごとをしていて行き着いてしまうのは『誰の意見が正しいのか』ということ。とくに311以降、誰もが更新された『正しさ』を求めているように見える。ちなみに、あなたに最適の正しさを私は知らない。それは個々に違いすぎる。


P.E.T.A.

で、目上の人が正しいのは現実が安定しているときだけで、(今回視覚化されたように)現実が不安定になると、つまり目上の人が知恵をもたない事例については、年功序列は一時崩壊する。サラ金(つまりバブル)、テレビ(つまり広告)、海外旅行、携帯電話、インターネット、マネー、セシウム。これらの害悪のことで相談できる身近な相手は存在しなかった。それは今に続く。

年功序列からの卒業。もし必要なのであれば、それは具体的には親を憎むことである。せめても、親と戦うことである。戦いは悪ではない。間違いなく結果が良くなるのであればそれは善で、かつ、それは愛である(そしてこれにはコストがかかる)。この愛とは、結果がほんとうに良いこと。その智(知恵)のことであろう。つまり、愛とて個々に違うものだ。この辺りが、西洋の価値観とは違うのではないだろうかね。


と、今回は結論に着地せず。何故ならこれは、年功序列とは先輩方に結論を出してもらう文化ということだから。50代の先輩よ、オマエらの結論を見せてもらおうじゃないの。

2012年3月4日

800文字

メモがわりに書いておきます。

たとえば、誰かが80ページ(1枚は400字)のシナリオを書いているとして、冒頭のつかみのシーンは何枚くらい必要なのでしょうか。これは簡単だよね。

『1枚以上、20枚以下』

これならば正解だな。人生も長くやっていれば、どんな難しい問題もシンプルに絞り込むことが可能になるもの。ちなみに人によってはそうでも無いらしいけれど。まぁ5ページくらい書いておけば、後から何とでもなるだろう。

ところがだ、これをページ数の分からない方法で書いているなら問題だ。人間の感覚なんていいかげんだから、それだと気分によって判断を誤ってしまうこと間違いなし。とにかく枚数で考えるってことが重要。そして、このことは日々のネット情報をかき集める行為にも置き換えられる。

そうだな、ネットの情報をページ数に置き換えると、毎日10ページ以上を読んでいるだろう?(ちょっと多い人で20~40ページ/日くらいか?)

まず把握できっこない。一ヶ月に300枚でしょ。左脳で細切れの文章を読んだつもりでも、間違いなく何一つ把握できてない。弱い記憶は30分後に消えている。で、理解できるのは一日に2ページが限界だろう。それを確かめるには、話し言葉じゃなくて文章でアウトプットしてみることだ。それが出来たらちゃんとインプットが出来ている証拠になる。な、無理だろ?ちっとも無理なんだよ。

それくらいのアウトプットが無理じゃない利口なひとは、もしも読んでおられたらすみません。それはそれってことで。大切なのは、インプットしている瞬間から整理して取り入れることだ。

という長いメモでした。おしまい。(以上、1.6ページでした)

2012年3月2日

心の声

■    ■    ■

誰だって、自分の心から声が聞こえてくる。ずっと考え続けた結果のこと。

『心の中の声というのは、何が起こっても変わることがない』

そうなのだと結論付けられた。放射線が降り注いで来ようが、他人が心底困っていようが、あなたたちの心の声は何一つ変わらない。

この心の中の声というのは、いつまでもあなた自身を悩ませ続けるのだと確信した。そして、あらゆる娯楽は、その声をかき消すものであるようだ。娯楽といわず、こだわっていること全てが、心の中からの声への反発だな。

■    ■    ■

だがね、真の調和とは解決のことだ。

声を聴くことこそ、理性だよ。

そうだと思わないか?

■    ■    ■

今は、愚痴を言い合ったり、罵り合ったりしながら、体験した悲しみを浄化するときなのだろう。無理もないよな。悲しくなかった奴だって、じっと見守るしかないのだから、じっと見守れば良いのだよ。

今日は、心の声に意識を向けながら静かに一日を過ごしていた。そしてついに、何もすることがなくなった。だから今一度、公園の放射線を測定してみようかと考えている。案外、これからが本番なのかもしれない。

もしも、こんなふうに考えることが望ましいと感じるのなら、自分の心の声を大切に扱うことだ。それ以外は、俺に言わせれば地獄だよ。毎日が同じことの繰り返し、そんなのは虚しくて当然だね。

だから自分のことを隠しちゃダメだぜ。選り分けてないで、正直に何でも人に伝えればいいんだよ。

■    ■    ■