2012年3月6日

主義主張

聞くところによると(私が世界を旅してそれを確認したわけじゃない)、東アジアでは年功序列というものがあって、こいつが日常生活に強く影響している。この年功序列というもの。これは結論を急ぐと『儒教の影響』という主張になるようだが、それはどうだろう。あまりピンと来ないな。

各種調べごとをしていて行き着いてしまうのは『誰の意見が正しいのか』ということ。とくに311以降、誰もが更新された『正しさ』を求めているように見える。ちなみに、あなたに最適の正しさを私は知らない。それは個々に違いすぎる。


P.E.T.A.

で、目上の人が正しいのは現実が安定しているときだけで、(今回視覚化されたように)現実が不安定になると、つまり目上の人が知恵をもたない事例については、年功序列は一時崩壊する。サラ金(つまりバブル)、テレビ(つまり広告)、海外旅行、携帯電話、インターネット、マネー、セシウム。これらの害悪のことで相談できる身近な相手は存在しなかった。それは今に続く。

年功序列からの卒業。もし必要なのであれば、それは具体的には親を憎むことである。せめても、親と戦うことである。戦いは悪ではない。間違いなく結果が良くなるのであればそれは善で、かつ、それは愛である(そしてこれにはコストがかかる)。この愛とは、結果がほんとうに良いこと。その智(知恵)のことであろう。つまり、愛とて個々に違うものだ。この辺りが、西洋の価値観とは違うのではないだろうかね。


と、今回は結論に着地せず。何故ならこれは、年功序列とは先輩方に結論を出してもらう文化ということだから。50代の先輩よ、オマエらの結論を見せてもらおうじゃないの。

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